黎明期 大正3年〜昭和30年
 石油発祥の地といわれる三島郡出雲崎尼瀬。明治初年、その地に湧く源油に目を付けたのが幕臣の石阪周造だった。明治20年代に入り、アメリカから輸入した掘削機械で本格的な石油採掘事業を起こしたのが日本石油(株)の創業者内藤久寛、宝田石油(株)の創業者山田又七であった。これをきっかけに、新潟は石油産出県として脚光を浴びていく。
 石油採掘事業は莫大な資本を必要とし、それらは県内の資産家から集められた。当社の創業者の祖父、白勢春三もその一人で白勢の名は石油業界に広く知られていた。
 
  拡大期 昭和31〜39年
  新潟県では「災害の10年」といわれた昭和30年代。当社にとっては新規事業部門を開拓・拡大していった年代に当たる。ヤンマーディーゼルのエンジン販売のスタート、一般家庭用プロパンガスの取扱い、新造バージ船の進水式も行われた。また、モータリゼーションの到来を予測し、本格的給油サービス・ステーションをオープン。機械建材部では付属工場、展示倉庫を新設するなど、積極果敢な設備投資を行い、将来の発展と充実に備えた時期であった。
 
  発展期 昭和40年〜49年
  昭和40年代、日本の高度経済成長は続き、本格的なモータリゼーションを迎えた。当社では機械建材部の営業所を高田・長岡に開設、石油部のサービス・ステーションもさらに5カ所にて開所。新潟市内の山木戸プロパン充填所では新たにオートガス・スタンドを開業。激動する時代を的確に捉え、フロンティアスピリッツを遺憾なく発揮し、着実に規模を拡大していった。
 
  充実期 昭和50年〜59年
  創業以来、拡大してきた事業の各部門は着実に力を付けていた。昭和51年5月22日に山木戸新社屋が完成。酒田市内に開設された駐在所は、山形県内でのヤンマーディーゼルエンジンの販売拠点として第一歩を踏み出し、後に営業所に昇格。石油部では木崎農協前サービス・ステーションの開所、また山木戸・浜浦・紫竹では自家用自動車の6カ月点検整備を開始し、給油が主という営業形態を大きく発展させた。昭和52年には、白勢誠一社長が藍綬褒章を授与された。この年代は当社の充実期であった。
 
  展望期 昭和60年〜現在
  昭和が終わり、平成が幕を開けた。昭和28年から積み重ねてきた当社の軌跡は平成15年で創立50周年を迎えた。次代へ向け、さらなる発展をめざすためには確固とした企業ビジョンが必要であった。平成3年にCI(コーポレート・アイデンティティー)を導入。大幅な組織改革が行われた。東京本部や開発営業部が新設されたほか、グループ会社として白勢エンジニアリング(株)が誕生。新しい歴史を刻むべく、新たな挑戦は続いている。